廃止した議員年金が民主主義を圧迫する構図について
議員特権と言われてきた地方議員年金が廃止されたのは、2011年5月。
確かに、3期つとめれば、支給される、金額が大きいなど、国民年金はじめ他の年金にくらべ「特権的」仕組みだったが、その議員年金が廃止されたことが、自治体財政=議会費を圧迫する構図になっていることはご存じでしょうか。
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少し前に書いたレポート、
議会費の推移から見える友好親善してる場合ではない大田区議会の厳しい財政状況と民主主義の危機
http://blog.goo.ne.jp/nasrie/e/2b03120b1b1955870ee2ef6ebd4c5678
で、議員数を減らし、議会事務局職員を減らし、費用弁償を減らしてもなお増える大田区の議会費についてレポートしました。
だから、大田区議会は、議会費で、友好親善や、海外友好親善調査などしていていいのだろうか、というのが私の持っている問題意識。
◆廃止した議員年金が議会費を圧迫
それでは、なぜこのようなことがおきるかと言えば、この背景に、議員年金の廃止があり、廃止されたものの、廃止時に受給資格のある議員については、年金を支給していて、その年金を議会で負担しなければならないから。
この問題について、週刊ダイアモンドオンラインに書かれている記事がわかりやすいかもしれない。
「議員年金廃止で公費激増に異議一市長が起こした反乱の顛末」
http://diamond.jp/articles/-/16682
一時金の支給は終了しているが、議員年金支給対象者がいる限り、その支給額が議会費から支出され、議会費を圧迫することになる。
議員年金廃止に伴う大田区の議会費に占める共済費は、平成27年度予算で2億1千万円を計上している。
全国的な影響額の試算では、27年度がピークのようだが、このあたりの大田区議会への影響額について、検証する必要があるだろう。
私は、議会費総額を増やすとか、減らすとかではなく、住民の代表である区議会が、住民の声を代弁するに必要な議会活動を確保するために、どのように費用をかける必要があるか、住民が考える時期にきていると思っています。
確かに、地方議員がボランティア的位置づけになっている国もあります。
しかし、国と地方の役割も違えば、議会が担う権限や役割も大きく異なっています。
しかも、利益分配に特化した日本の政治において、議会の力を小さくすれば、相対的に官僚の力、行政の力が大きくなり、住民の声はさらに政治から遠ざかると私はみています。
特に、行政主導で行われてきた日本の政治ですが、官より民で意思決定に大きく入り込んだのは、住民ではなく、民間事業者という経済活動の代弁者になっているのが現状です。
これで、議会の力を小さくすれば、ますます住民の声は政治に届かなくなってしまうのではないかと危機感を持っています。
これは、行政をチェックし、議員提出議案をだせるだけの力を議会や議員が持つために、議会費をどう使ったらいいのか、を住民が考えなければならない時なのではないでしょうか。
確かに、「高給をとりながら働かない区議会議員」など減った方がいいし、報酬だって少ない方がいいというのは、理解できますが、どう住民のために働く議員を作るのか、選ぶのか、はもっと重要です。
安易に区民の声を代弁する力を小さくすることは、民主主義のためには、大幅な後退だと考えています。
働かない議員などいらないから減らそう、報酬だって少なくていいとなったとき、議員になるのはどんな人でしょう。
報酬が少なくても議員ができる人ばかりが議員になって、「私」の声は意思決定の場に届くでしょうか。