音の沖合移転だったはずが、国際化と深夜早朝便を可能にした羽田空港沖合移転
航空機の大型化で、騒音と飛行機事故に悩んできた大田区民にとって、羽田空港は、騒音とともに沖合に移転しましたが、東京都や国はこれを沖合展開とよんでいます。
区民からみた羽田空港の沖合移転事業と、都や国からみた沖合展開事業とは、同床異夢、異なる目的があったのではないかと感じています。
確かに、内陸飛行を原則やめることで騒音問題を抜本的に解決できた一方で、D滑走路新設と、C、B滑走路の整備により、空港面積は、408ヘクタールから約1,000ヘクタールと倍以上になっています。
2000年(平成12年)に東京都が出した「航空政策基本方針」には、
沖合展開により空港処理容量が拡大するとともに、騒音が
大幅に軽減され全滑走路の 24時間使用が可能となりました。
とあります。
http://nasurie.co/0ce087513eb18331dbfb9a0b2d769586.pdf
2000年のこの東京都の航空政策方針で、都は、羽田空港を国際化するよう国に働きかけるとしています。
国が、羽田空港を再国際化(国際定期便就航)のために必要な「羽田空港再拡張事業」のための特措法案を閣議決定したのが2004年2月ですから、その前から東京都が積極的に再国際化をもとめてきたことがわかります。
大田区民が、空港が沖に移転して、「海から入って、海へ出る」離発着方法で静かな環境を得られたと喜んでいた時に、東京都は、滑走路を整備し、増便できるようになった、住宅地から滑走路が離れたことで深夜早朝の時間帯も飛ばせるようになったと考えていたのです。
しかも、当初、チャーター便だけだった国際線ですが、D滑走路の供用が始まる2010年10月からは、重量が重く騒音の大きな国際線の定期便が就航しはじめます。
沖合移転は、本当に、私たちの騒音問題解決のためだったのでしょうか。
沖合移転で、騒音から空港周辺の住民の健康や安全を守るはずが、国際線が飛べる空港に、また、深夜早朝も離発着できる空港になって、騒音影響は再び次第に大きくなったのです。
そして、さらなる機能強化で増便されれば、真上を飛ばないものの、増便とB滑走路西向き離陸などで、大田区の騒音影響は、さらに深刻になります。
日本の騒音規制は、海外に比べに50年遅れていると北海道大学の松井利仁教授は指摘していますが、その甘い日本の騒音基準でも、深夜早朝の睡眠時間帯は、昼に比べ10倍の騒音影響が認められています。(Lden)
羽田空港の深夜早朝便が、いま少なめにみても一日53回年間約2万回飛んでいます。
国との約束で深夜早朝便の上限が一日112回ですから、さらに2万回は増える余地があることを私たちは、考える時期に来ていると思います。
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以下は、福島みずほ事務所を通じて国交省が出してきた、D滑走路増設の際の環境アセスメントの際の騒音コンター図です。
それが、今回の増便では、以下のようになるので、大丈夫だと国は説明しています。