音楽ホールを求める陳情に、区民利用が少ないから、音楽ホールは不要、という大田区の見解、奈須りえはこう考える

この陳情は、新蒲田一丁目複合施設に、現在の音楽ホールと同規模の優れた音響効果が高い音楽ホールの計画を求める陳情です。
大田区の見解は、利用が少なく、今ある他の施設で区民の需要は満たされている
大田区民センター音楽ホールは731人ですが、400人以下の利用が8割で、そのうち音楽だけの利用は68件です。
陳情では、アプリコ1477席、区民プラザ509席、文化の森ホール259席と比べ、同規模の施設がなく、同規模の音響の良い施設を求めていますが、大田区は、731人規模と言っても、400人以下の利用が8割であることや、400人以上の利用でも音楽利用は少ないことなどから、今ある他の施設で区民の需要は満たされているという見解です。
利用が少ないのは区民の責任か
大田区は、区民需要を理由に音楽ホールは不要としているように聞こえますが、利用頻度や人数が少ないのは、必ずしも区民の責任ではありません。
適正に維持管理せず、老朽化
大田区民センターは、長い間、外壁の塗り替えもしていませんし、壁もカーペットも擦り切れたり剥がれたりしています。豪華だったり華美であったりする必要はありませんが、内装をやり替えることで、区民利用を増やすこともできたはずです。そこまでしなくても、剥がれた壁紙は張り替える。めくれてきたカーペットは補修するといった適正な維持管理が行われていれば、もう少し見栄えも違うと思いますが、それもしてきませんでした。
新築の建設費補助をあてにして、補助金の見込めない維持管理はけちけちしてきた結果、区民利用が減っている部分まで区民の責任にすべきではありません。
大田区のいう、利用頻度や利用人数だけで、区民の陳情を判断するには早急です。
社会教育施設をなくしてよいか
仮に、区民センター音楽ホールがなくなると、社会教育施設である音楽ホールがなくなることになります。
それでは、残った、アプリコ、区民プラザ、文化の森は、社会教育施設として区民センターの代替施設になりうるでしょうか。
大田区は、社会教育課を廃止してしまい、社会教育を軽視しています。社会教育施設まで廃止してしまえば、さらに区民の社会教育活動を先細りさせることになります。

そもそも、大田区民センター、アプリコ、区民プラザ、大田文化の森の音楽などに使用するホールは、明確なすみわけができていません。アプリコは莫大な金額をかけて、音響設備を入れ替えましたが、講演会にも使われています。

しかも、アプリコ、区民プラザ、文化の森は、維持管理する文化振興協会の自主事業を認めている施設ですから、区民の利用は制限されています。
区民センターの音楽ホールがなくなって、他の施設で使えるかと言えば、社会教育施設ではありませんし、そもそもの文化振興事業で使っているので、すんなりと受け皿にはならないのです。

いまは、違いますが、仮に指定管理者制度の利用料金制になれば、イベントのチケット代は指定管理者の収入になりますから、さらに区民利用が制限される可能性があります。そうなると、誰もが行きやすい週末や平日夜間の区民利用がさらに狭まる可能性もあります。

ほかにも、大田区が優先利用したり、各部局や区長の権限で後援などがついた企画も増えてきていて、区民が使おうとすると、すでに抑えられていて、区民誰もが公平に使えるかと言えば、意外と利用しにくかったりします。

私は、単なる施設建設で、似たような大規模な施設ばかりができるなら、賛成はできかねます。
しかし、大田区民センターという音響の良い音楽施設を残してほしいという区民の願いは、単に規模や音響の問題だけでなく、社会教育活動できる施設、区民利用できる施設を望む区民の声であり、区民の施設のすみわけ含めた在り方を私たちに問うている陳情としてみるべきではないでしょうか。
公の施設が指定管理者制度やPFIなど、投資の対象になったり、営利企業の興行の場として使われるようになってきています。みんなの税金で、みんなの財産である公の施設をどのように大田区が設計・建設・維持・管理・運営し、区民が使用していくかをあらためて考えるための貴重な意見と受け止め採択を主張します。