法で秩序は作れるか、秩序はどう作られるのか、秩序が失われるとどうなるか 規制緩和や民営化など構造改革で失われた日本の秩序
秩序は何により作られるのでしょう。
規制緩和により、法による規制が取り払われ、秩序が失われてきました。
では、法で秩序を取り戻せるかと言えば、法は守るべき最低限しか示すことができません。
機械的に何かを守ることが秩序ではなく、自然や風土と人間の関係のなか、時々に変わるものではないかと思います。
法で秩序は作れないのです。作ろうと思えば、その瞬間瞬間に、その人その人の秩序を明文化しなければならなくなるでしょう。
秩序は、自然や地理や風土の中で育まれた共同体社会が支えてきたものだと思うのです。
ところが、自然や環境や国土は、経済利益のために、海岸線、河川、山林、あらゆる国土も自然が壊され、一次産業が衰退し、同時に進められてきた規制緩和によって、それらと一体的に育まれてきた共同体社会も壊れていくと、秩序も失われてきました。
秩序が失われていくとどうなるでしょう
この自然等が支えてきた秩序が失われるにつれて、法律の存在が相対的に大きくなります。
では、法律は誰が作るか、と言えば、国会議員という「人」が作ります。
秩序は、自然や地理や風土の中で育まれた共同体社会が支えてきましたから、誰かにエコひいきしにくい、比較的公平な社会になると思いますが
秩序が失われ、法に支配された社会が、公正・公平・適正に成立するのは簡単ではないと思います。
議員は選挙で選ばれるので、公平公正な社会を支えるに十分な秩序になる「はず」ですが、金や力を持っている人たちは、自分に有利な情報を流すことも可能で、有権者が選ぶに必要十分な情報は、なかなか提供されません。
日本を生きる多くの私たちは、秩序が失われつつあることに明確に気づいていないので、秩序の存在を前提に、選挙にのぞみます。
政治にかかわる情報の中に、巧妙に「誰か」に有利な情報が含まれているなど、想像もしない人たちが多い、ということです。
さらに、小泉構造改革以降の民営化により、
多くの公共サービスの事業主体が、行政から企業に変わってきたため、
多くの公共サービスは、情報が見えにくく、評価も形骸化して、住民の主権が及ばなくなってきています。
民営化の事業主体は、いま、大資本に淘汰されつつあります。
大きないくつかの事業者、ホールディングス、株主たちが、公共サービスの担い手となってきているのです。
さらに、DX(デジタル化による変革)やデジタル政府で、情報(*ビッグデータ)を一部の大資本が駆使できるようになると、
国民主権は、実質、国民から大資本家たちに奪われるのではないかと危機感を持っています。
たとえば、極端なことを仮定すると、そこに近い社会を想像できるかもしれません。
日本の食料、エネルギー、医療、福祉、教育、物資、流通などすべてが資本主義経済システムにより、数人の資本家たちの企業に担われる。
(*一元化された行政、企業、個人情報データ基盤)