主権者と官僚の関与排除 竹中平蔵氏が【ミニ独立政府】と呼ぶ【国家戦略特区】
国家戦略特区は悪くない、という論調が多い。
意味のある改革ができないから、国家戦略特区は必要。〇〇が提案してこんないい改革ができた。
本当だろうか。
竹中平蔵氏は【ミニ独立政府】と呼んでいる。日本にもう一つの【ミニ独立政府】作っちゃっていいんですか?
どうも、日本の政治システムがめちゃくちゃになっている。
「良いことはどんどん進めればいい」なんていうようになっている。
さらっと聞き流しそうな話だけれど、誰にとって良いことを、誰が、どうやって進めるの?
税金を使って箱物を作って儲けたい人たちにとって、公共工事は良いことで、多ければ多いほど良い、のだと思う。
でも、税金を支払っている私たちは、保育園も作ってほしいし、学校教育も充実させてほしい。
良いことをどんどん進めるには、誰かが勝手に決めるんじゃなく、正当な意思決定過程を経た手続きが必要。
法律は、選挙で選ばれた議員で構成している議会が変える、決める、廃止する。
政令等は、各省庁に権限がある。
これを、国家戦略特別区域諮問会議と国家戦略特別区域会議という議会制民主主義の外側に権限を与えてしまっているのが、国家戦略特区法をはじめとした、各種特区法連携による特区制度だ。
🔲規制とは
規制の多くは、私たちの命を守り、環境を守り、人権を守るが、経済活動にとっては利益を減らすコスト。
これを変えようとするには、国会で法律をかえ、省庁で政令等を変えなければいけない。
🔲国民の見えないところで法律を変えることを可能にした包括法
国会で労働、教育、環境、医療など法律を変えれば、国民が騒ぐ。
規制省庁で変えるなら、「各省庁の意向が働くことが避けられない。」(「規制改革」有斐閣 八代尚宏氏著:国際基督教大学客員教授 元規制改革会議議員)
これを、包括法という複数の法律を一括して修正する特区法で変え、内閣府に取りまとめさせるところから、特区の問題が始まる。
🔲最初の突破 少しだから地方分権だから、始まる一国二制度、法の下の不平等、特区による規制緩和
包括法だとしても、法を変えるとなれば、国民的議論になる。
小泉構造改革の時、国会でも、一国二制度、法の下の平等が問題になった。
これを、ちょっとだから、地方分権だから、法の趣旨の範囲を超えないから、税財政措置をとらないから、ということで、構造改革特区法が成立する。
*憲法95条は、一の自治体に適用の特別法は自治体での住民投票が必要としているが、これを申請すればどこの自治体も規制緩和をうけられるからという理屈で、憲法95条にはあたらないと言っている。(加計学園問題で京都を排除したのは理屈に合わないですね)
🔲二つ目の突破 総合特区で税財政措置
東日本大震災の時に、被災地への特別な支援という気持ちが総合特区の財財政措置を容認させてしまう。
この財政性措置は、外国資本との事業が対象で、特区による規制緩和の目的が、アベノミクスの目的である外国投資のためであることがわかる。
🔲三つ目の突破 意思決定権限を国会・省庁外=国家戦略特区で意思決定権限を国家戦略特別区諮問会議と国家戦略特別区域会議にゆだねる
特区法に書かれている法の趣旨の範囲内だったはずの規制緩和を、基本方針ですべて連携可能にできることにしてしまう。
この基本方針で一年経って評価し効果があれば全国展開=法改正となる。
立証責任が省庁に課されるが1年では弊害が見えにくい。
諮問会議のメンバーが安倍さんのお友だちなどと批判されているが、法律で大臣は内閣総理大臣が指定、民間議員は規制緩和を推進する人の中から任命することになっている。
官僚は、仕組みの良し悪しを言える立場にないから、できた仕組みの中の不備をつくことしかできない。
私たちは、制度どのものの不備、規制悪者にし、なくすべきという論調に対し、問題を指摘すべきだ。
国家戦略特区を良いものだと言っている人たちは、規制がなくなると、誰にとってどう良いといっているのか、そこにも注目したい。規制を緩和して利益を上げる経済活動の代弁者なのか、規制に守られている国民の代弁者なのか。
本書いていますのでお読みください↓