岩上安身さんから紹介していただきました。

パールバック 「日本の人々に」  昭和二十年(一九四五年)10月2日 毎日新聞

「民衆が自由で独立的で自治的である国は如何なる国でもつねに善なる人々と悪なる人々との間に闘争の行われる国である。もしこの闘争が存在しないならそれは暴君が支配して善き人々が力を失っていることを意味する」

「物事を合理的に考える智的な、勤勉な一般の人間というものは自分に発言権を興えないような政府が長期にわたって耐え忍ぶことはできないものだ。彼は自分の運命が独裁者の手に落ちていると知ったとき、一切の感覚をもって、来るべき危険を感じとり、嗅ぎ付ける」

「人々が自らの創造力・発明力、表現力を発展させてゆけるのは、ただ自治の下においてのみである。但し邪悪に対する永遠の闘争をつづけてゆく善良なる人々にとって自由は常に責任を伴ってくるものだ。日本はもちろんのこと、その他世界のいずれの国の善なる人々にとっても・現在はなお何らの休息・何らの平和は存在し得ない。彼らは自らの眼を覚まして活動せねばならぬ。どこの国民にしても、全体の中にどこかに善なる者がいるのであるから、国民すべてを一概にとどめることはできない。咎め得るもの、咎めなけれならぬものは、いずれの国にあっても、悪に対して善がこれを監視せず、これと闘争しないということである」

「永遠監視の眼は、言論の自由という問題に対して終始間断なく注がれていなければならない。…‥善なる人々は他人の声を黙らせようとは欲せず、すべての人に対して自由を許容せんと欲する。彼らは完全な真理を把握しているのは自分たちだというほど慢心してはいない。すべてのものが自由に物をいうことを許されている以上、悪なる人々もまた発言するであろう。しかし善なる人々の声は悪なる人々の声よりも数多いはずであり、一段と明瞭なはずである。このことを善なる人々は自からの責務として認めなければならぬ。何故なら自由というものは真の自由でなければならず、自由が或る一部の人によって行使されて、他のものによっては行使され得ぬということは、あり得べきことではないからである」

「日本やドイツの善なる人々にして万一にも自由を享受し得てしかも責任を伴わずに生活のできるような国を夢想しているとすれば、彼らはその空中楼閣的な夢から呼び覚まされなければならぬ。……日本の善なる人々よ、あなた方は安閑として身体を横たえて眠ることはできない。あなた方は一時間の休息さえとることはできない。何故なら善なる人々はいたるところあなた方のカ、あなた方の周到な要心、あなた方の決断が彼らのそれに加えられることを必要としているからだ」