リニア中央新幹線にみる公共的利益

リニア中央新幹線の環境影響評価準備書に対する住民の意見公述が終わり、都道府県知事の意見が出揃った。温度差はあれ、JRの環境調査が不十分だったという意見は一致するところだ。

一部新聞記事リンク

【3月26日 朝日新聞】http://www.asahi.com/articles/ASG3T3HCXG3TUSPT004.html

【同 神奈川新聞ニュース カナコロ】
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1403260020/

【同 中日新聞:静岡】
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140326/CK2014032602000085.html

【同 静岡新聞】
http://www.at-s.com/news/detail/976982452.html

【同 中日新聞:岐阜】
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20140326/CK2014032502100017.html?ref=rank

「環境影響評価法」は、国民が将来にわたり健康で文化的な生活が営めるよう作られた法律だが、将来どころか、工事期間中の発生土等廃棄物や地下水脈、ヒ素などの対策に関る調査さえ十分に行われていないことが専門家等からの指摘で明らかになった。

一旦、始まってしまえば、たとえ、環境に影響が表れたとしてもストップするのが困難なのが公共事業だが、昨今の経済を優先させる政治状況下において、経済効果10兆円を超えると言われるリニア事業をストップすることは、更に難しい。

事業を速やかに執行したい事業者が発注して、事業者に作成させた環境影響評価書が「いわば」利益相反でないことを、第三者として、また、中立公平な立場で、点検するのが行政の役割だ。

小さな工事では、環境影響評価は義務付けられず、小さな影響が積み重なり全体で与える環境の変化については、誰にも調査の義務はないから調査せず、大規模 な事業であっても因果関係を立証しなければ、環境被害は認められず、何かが起きた後になって立証する役割は住民に負わされるのが現状だ。

行政は、事業者が出してきたあいまいな根拠に基づく「問題ない」という環境影響評価を住民の立場で点検し、事前にあいまいな部分を明らかにし、住民の将来にわたる健康で文化的な生活を確保する責務を担ってほしい。

首都東京におけるリニア事業の問題点について東京都の意見陳述をもとにお話ししたい。

たとえば、都内において750万㎥を超える莫大な量の廃棄物が発生するが、車両の班出入経路だけでなく、処理処分先も量も確定していない。中央防波 堤は、残余年数50年とも言われる、東京都民の最後の処分場で、区民、中小企業や公共工事に係る廃棄物の受け入れを基本としている。仮に、リニア建設に係 る発生廃棄物750万㎥の一部を処理することになれば、今後の東京都の廃棄物の最終処分計画にも大きく影響し、環境のみならず、財政的にも都民に大きな影 響を及ぼす。

特に、オリンピック招致やアジアヘッドクオーター特区などにより、今後、都内ではインフラ整備が集中することが予測される。東京都は、このあいまい な環境影響評価準備書で、リニア事業を考慮した車両運行や廃棄物処理についての総体的・計画的な処理処分見通しを持てるのだろうか。事業の主体は、他でも なく東京都なのだ。経済優先で見切り発信し、最後は処分先に行き詰まり、中央防波堤持ち込みどころか「海洋投入」と言えば聞こえはいいが、海に捨てるなど ということは都民として到底認められない。

リニア新幹線は、公費投入は無く、内部留保と自己資金で賄うとしているが、要は、運賃で私たち利用者が支払い支えるものだ。JR自身がリニアはペイしないと言っているとおり、当てにされている運賃収入は、リニアだけでなく、東海道新幹線など、他の路線にも及ぶ。

高度成長期とは異なり、必要なインフラは、ほぼそろい、人口は増えず、高齢化は進み、労働人口は減り、飛躍的なGDPの増加が見込めない中、社会全体が支 えられるインフラの総量を考慮せず、インフラ整備を続ければ、税にせよ、利用料金にせよ、支えるのは、結局は私たちで、負担は、暮らしに影響する。

環境に大きな負荷をかけ、その負荷を解消するために、さらに税金を投入し、壊された環境と借金という負担を私たち子どもたちの世代に残して良いのだ ろうか。リニア計画について、子どもたちに明るい未来があることと、環境への影響が無いことを同時に示すのが、広域自治体としての東京都の責務である。

そもそも、リニア事業には、大深度地下利用が「公共の利益となる事業に認められる」という大前提がある。環境影響さえ十分示されない事業のどこに「公共の利益」が認められるだろう。
子どもや孫の時代に、豊かな自然環境を引き継ぎ、経済的負担を残さない事業である確証は未だどこにも示されていない。