確かに、ほかの誰も言わない時から発言していることがたくさん有りますが、危ないとか、大丈夫などと心配してくださる場面に遭遇することが増えました。

私自身、特に特別なことをしているつもりはなくて、議員になってから一つ一つの問題に ついて調べ発言してきた延長に過ぎません。

そう言えば、国家戦略特区のことを言った時、奈須りえを守ろうという呼びかけをしてくださった方がいらっしゃいました。

考えてみたら、みんなが発言していれば、特に取り上げられることも無いのでしょうか、私一人が発言していれば、当たり前のことでも少しは目立つかも知れません。

たまたま、議員という役割=責任を担っているので、気付くのがほんの少しだけ皆さんより

早くて、目立ってしまうだけだと思います。(遅いと言われることも有りますが、それなりに戦略を練り機会を探していることも有ります)

 

決して人の言わないことを言うことは、怖いことでも危ないことでも有りません。

 

どうか、危ないとか、大丈夫と心配する前に一緒に声をあげてください。

議会で発言している私は、大田区の1/50に過ぎませんが、私が発言したことに同意する人が多ければ、それが世論になります。

 

常に多数意見が通る社会は、既に、民主主義ではなく、多数による独裁ですが、少数意見が時に世論を動かし多数を構成する可能性があるからこそ、民主主義は民主主義であると思います。

 

そして、その可能性は、理論上でしかない机上の空論であってはならないと思います。

 

私は議員になった時、議会が多数決主義なのだなあ、

多数を構成する政党や会派が、議会の運営ルールさえ、多数派に有利なように決められるのだなあ、と分かり、衝撃を受けました。

議員いなる前は専業主婦で、支持政党なし、政治に主体的に関ったことがなかったので、実態を知らなかったのです。

 

政治は、多数派のためのものではありません。

誰もが、常に一番良い提案をし続けるとは限りませんから、一番良い提案を都度選ぶために議論を尽くし、その中から最良の方策を選べるのが民主主義の良いところです。

 

議論を尽くすのは、議会の中の議論のためではなく、議会の外の皆さんにお伝えしみていただくためです。

 

議会の中の多数派が、最良の方策を選ぶ姿勢がなくて、自分の提案を通したいと思っている案を通すことしか考えていなければ、多数派は、議論を長引かせることにメリットを感じません。

 

議会に議論を任せると、議会の議論が形骸化するのは、そのためです。

 

フェアな民主主義は、全体の奉仕者として透明性、説明責任を果たせる行政があり、住民に、施策の良いところ、悪いところを明らかにした上で、最良のものを選ぼうする議会運営が行われ、それをしっかりとチェックする住民の存在があって成立すると思います。

 

 

今こそ、フェアな民主主義を!