コロナのアンケートの自由記述をまとめていて、多くの意見が、マスコミの使う言葉で語られていることがわかりました。

PCR、ロックダウン、テレワーク、リモート、クラスター、、、

つい数か月前まで使ったことも無いような言葉が自由記述欄で使われています。

それでは、全ての人がマスコミの論調に合わせているかと思うと、
さらに同じくらい多くの人が、日ごろみているネットやテレビ・新聞とは全く違った見方、感じ方をしていることに気づきました。

一方、この間のコロナで、マスコミが繰り返し発していることが、いつの間にか、国民の世論になっている部分があります。

医師会が効果が無いと言っていたマスクですが、一部のネットで実は効果があると言ったり、国がマスクを給付すると決まると、マスクは無駄だという批判が高まると同時に、「マスクはするもの」だという意識が定着した感じがあります。

今では、マスクをしないと批判されるのではないか、という恐怖感さえついてまわっています。
万が一、誰かにうつしてしまったら、という心配もその背景にはあります。

過去、どんなにインフルエンザが流行った時にも、マスクを強要するようなことはありませんでした。
その過去のどんなインフルエンザより、新型コロナは感染力の大きな感染症として、私たちの社会に位置づけられています。

そして、暑い夏になっても、私たちはマスクをして外を出歩いています。

これは、マスクに限らず、実は非常に怖いことだと思います。

最初に発した声が国民の声で、そこに同調した多くの国民が求めていることなら良いのですが、

最初に発したのは誰だったのか、
多くの声の中から、ある声だけが繰り返し発せられるのは何故なのか、
ネットやテレビや新聞で、発言する人を選んでいるのは誰なのか、
専門家と言われている人たちを「専門家」にしているのは誰なのか、

そして、これらに、何らかの意図があったとしたら、

私は、ある時まで、自分が音楽の趣味が良いと自負していました。
好きになる歌、好きになる歌、流行ったからです。

でも、ある時、私の好きなった歌は、ドラマやCMによって聴かされていた歌で、それは、プロモーション戦略(販売戦略)に載せられていただけだったのだ、と気づきました。

私は、全ての曲を聴いたうえでその中から一番好きな歌を選んだわけではありませんでしたから。

プロモーション戦略は、企画とお金と規模がものを言います。

レコード(古くて失礼)会社の戦略に載せられて、曲を好きになるように、
私たちの声や、求める政策までもが、政治と大規模資本(=企業の株主など)が一体となって、私たち世論を動かす時代になってはいないでしょうか。

この一連のコロナは、自粛で、私たちを人間関係から遮断し分断し、政治とマスコミからの一方向の情報提供にさらされた時を作りました。
コロナを使った、世論誘導は、

ショックドクトリンが、熱狂して気づかない間に何かをするなら、
コロナを使ったショックドクトリンは、これまで以上に巧妙で、非常に上手に私たちを誘導し、私たちを熱狂させ、自ら望んである方向へ向かわせようとしています。

ですから、選んだことが、こどもや孫の世代にどういう影響をもたらすか、考えなければならないのだと思います。

1984年 (ジョージ・オーウェル)

民主主義ではなく、集中した権力と情報とに支配される管理社会はすぐ目の前にあります。

私たちの子どもや孫や、またその先の世代のために、いま、私たちが何をすべきか、考えていきたいと思います。