消費税が25%になっても今の公共サービスしか得られないという試算
特例法案の可決をめぐる報道が目立ってきました。
「公共サービス」「公共事業が止まる」という論調は、私たちを「特例法案を可決しなければならない」という気持ちにさせます。
確かに、公共サービスが止まり、公務員の給与も、行政の仕事をした事業者への支払いもストップするというのは困ります。
しかし、足りないから借金するという前に、行うべき議論が、今も、これまでも、あまりにたりないと思うのは私だけでしょうか。
たとえば、カードで買い物しすぎて、請求が来てみたら残高が足りない時、「消費者金融」にたよる前に、私たちがすべきことは何でしょうか。
・返せるかどうか考える。
・なんでこんなに足りなくなってしまったか考える。
・そして、次はどうすべきか考える。
借金で日本の公共サービスが提供されていることが、さまざまな実態から私たちを遠ざけ、見えにくくしています。
今日は、借金しないで日本の公共サービスを維持しようと思ったら消費税が25%必要になるという試算について報告します。
平成23年度実績見込みで、日本の国内総生産に占める税や社会保障費用(年金や保険)の割合は、40.1%ですが、借金で賄っている分は将来の私たちの債務でそれを加えると54.8%になります。(財務省資料より )
消費税が5%上がると国民負担率は3.7%上がりますが、借金で賄っている負担14.7%を、仮に全て消費税で負担するとなると消費税を25%に上げなければなりません。
よく、日本は消費税率が低いから、負担を上げて福祉を充実させようと言いますが、国債を発行し続けながら、税金を上げるという意味でしょうか。
「このまま、税金の使い途を変えなければ、私たちは消費税を25%支払っても、現状の社会保障制度や公共サービスしか受けることはできません」
しかも、消費税が25%では、累積債務(国+地方:特別会計含む)1100兆円を返済することはできません。
私たちが指摘すべきは、仮に消費税25%に上げてもこの程度の社会保障しか国民・住民に提供できない政府・大田区(自治体)の無能さでしょう。
赤字国債特例法案の可決をめぐる攻防が行われているようですが、私たちが求めているのは、帳尻を合わせ借金を可能にすることではなく、財政の健全化であり、社会保障制度の拡充のための道筋を示すことです。
そしてそれは、税金の使い途を大きく変える以外にはありません。
【特例法とは】
ある時代にたくさんの借金をして、利益を受けるのはその世代だけ、負担は次の世代にというのがあり得ないことは、誰もが納得できることです。
「特例法」という名前の通り、国の財政において、借金は「特別」「例外的」なことで基本的にしてはいけないことになっています。
唯一認められているのが「建設国債」で、建物など公共インフラなど、費用がかさみ一時的に莫大な負担が生じるとともに、その恩恵が長期的におよぶものにつ いて発行が認められています。ダム、道路、住宅、港湾などがこれにあたりますが、それでも、過剰になれば、負担のバランスが崩れます。
ところが、発行する国債は、その建設国債でもなく、収入に比べて支出が多いから、借金でそれを埋め合わせるもので、特別に例外のはずが、1965年に初め て発行され、その後1975年から1990年まで、そして、1994年から2011年まで発行され続けています。(ちなみに、バブル全盛期(1986年か ら1991年)にも発行していたり、国民総生産(GNP)から国内総生産(GDP)が変わったのが1993年であったり、戦後日本の経済成長率の推移 の大きな流れと国債発行の関係など、興味深いポイントがありますが、それは別の機会にゆずります。)
これまで、莫大な税金を「今年だけ特別」という理屈で、毎年「恒常的」に使ってきていますが、「今年だけ特別」は何か、そしてその「今年だけ特別」はいったいいつになったらなくなるのか示したうえで発行すべきと考えるのは私だけでしょうか。
一度確保した予算は、それが、分配する側なのか分配される側の理屈なのか分かりませんが、既得権となり、カットが困難なことは、既に事業仕分けで示されています。
しかし、私たちが予算削減が難しいと実感するのは、そじょうに上ったのが予算総額から見ればほんのわずかで、そじょうにさえ上らなかった多くの「既得権」が有ったということです。
地方自治体の財政規律もまた、財政改善の大きな鍵を握っています。
国におんぶにだっこで、規律ある財政運営をしてこなかった責任の一端は、国の補助金目当てに公共事業を行ってきた地方自治体にもあります。
既得権の中で共倒れになるのか、子どもたちの未来のために一筋の光をもとめ切り開いていくのか。いまこそ、その仕組みが日本の財政赤字を招き、自治体住民サービスを疲弊させていることに対し自治体自ら問題提起をすべき時です。