あれほど言われていた地方分権ですが、いつのまにか聞かれなくなりました。

だからと言って、分権が進んだというわけでもありません。

国民が、中央集権でなく、地方分権という大きな流れに合意してきたのは、最終的に、住民自治につながるから、意思決定において、民意がより反映されることを期待したからではなかったでしょうか。

あれほど分権と言われていたにもかかわらず、今、逆に中央集権化が進んでいます。今日は、地方分権について、歩調を同じく進められてきた規制緩和とともに考えてみたいと思います。


地方分権一括法が成立したのは平成18年ですが 、国民が分権社会を目指したのは、1993年の国会議決にまでさかのぼります。

「その目的は、『ゆとりと豊かさを実感できる社会』を実現することであり、それは、日本社会の目標について『成長優先』から『生活重視』へと転換することを意味していた」と神野直彦 東京大学大学院教授もこの議決時の決議文や意見書 を引用しています。

それでは、分権により、ゆとりと豊かさを実感できる社会は実現できたでしょうか。日本社会の目標は、成長優先から生活重視へと転換したでしょうか。

たしかに、形として、権限が移譲されたことになってはいますが、「財源」の委譲が不十分だったことにくわえ、自治体の姿勢の問題もあり、分権が進んだとは 言えない状況ではないでしょうか。ゆとりと豊かさの実感できる社会に、近づくどころか更に遠ざかってしまったというのが現状ではないでしょうか。

分権により行われたのは、市町村合併だけだったといった声も聞かれます。

それでは、なぜ、分権といわれるようになったのでしょう。

自治体側、地方六団体など(知事や市長、議会の議長などの団体)は、常にもっと自治体に財源をと国に求めてきていました。

これが大きく動いた背景には、経済界の声があったようです。

―以下引用―

分権を進めてほしいという点では共通であったものの、政界・財界が望んだことは、行政改革の一手段としての分権だったということである。小泉改革におい て、典型的に現れたように、「官から民へ」、そして「国から地方へ」というのが行革の柱で、地方分権改革は、この行革の一環として位置づけられたものでし かなかったのである。
(自治・分権再考:地方自治を志す人たちへ/西尾勝著/ぎょうせい)

首長は、もっと使える財源がほしいから、経済界は、公務員がやっているお仕事を民間に開放してほしいから、それぞれの思惑に政治がのっかって、地方分権が大きく動いたわけです。

私は、現象面だけを取り上げれば、次の2つが、地方分権の結果であるととらえています。

都市部において保育園の民営化が促進した
*これは、地方分権による保育の一般財源化が大きく影響しているでしょう。

地方自治体の借金が増えた
*市町村合併の特典として、合併特例債の発行が認められた。
合併特例債は、インフラ整備の95%まで発行できるうえ、元利償還の7割まで国がみてくれる。平成11年~22年までの合併特例債発行総額は4兆円にのぼる

小泉政権の時に大きく動いた分権は、結果として、保育園の民営化と自治体の借金を残し、権限が拡充されるどころか、地方自治体は、更に国だよりの財政体質になってしまいました。

分権という言葉に、国の持つ強大な権限の一部が地方自治体におりてきて、それが、住民生活に還元されることを国民は期待しましたが、残念ながら、決議文の中だけで終わってしまいました。

分権は、権限を国=官僚から、政治家や企業に分配するための手段だったと位置づけると理解が進むように思います。