返還直前の香港に似ていると感じることがある、今の日本、今の東京、今の大田区

1992年12月から1997年7月まで香港に住んでいました。

ちょうど、中国への返還間際のイギリス領だった香港です。

仕事をしていたわけではありませんから、生活をしている中での実感ですが、当時の香港と似ていると感じることが多くなりました。

ビルの中に学校や保育園などがあって、驚きましたが、日本でも園庭や校庭の無い学校や保育園が当たり前のように増えています。

キッチンの無い家があって、衝撃でしたが、日本でシェアハウスが増えていて、共同のトイレやお風呂の住まいも出てきています。

高層ビルが多くて驚きました。
香港は地震がないから、と聞きましたが、中国の地下核実験?で、振動があり、ちょっとした騒ぎになったと記憶しています。

今では、地震国日本も、超高層ビルが林立するようになりました。

日本の建築技術が進んだから、でしょうか。

因みに、当時、不動産バブルでしたが、超高層マンションをキャッシュで買っていたのは、中国人のお金持ちだと聞いたことがあります。

今、日本でも、タワマンや水源を中国人など外国人の方たちが買っている、という噂を聞くことがあります。

 

香港島は、ほぼ渋谷区くらいの広さと聞きましたが、今調べると、香港島が80㎡で渋谷区が11㎡。
もしかしたら、住宅地と繁華街の規模感だったかもしれません。

そう思えば、狭い区域を集中して開発するのは、当時の香港も今の日本(東京など都心部)も似ています。

 

外国人の出稼ぎ労働者が多く、男性だと運転手、女性だと家政婦やシッターとして働いていました。
フィリピン、タイ、バングラデシュ、中東、、、。
国ごとに賃金が違うと知って、衝撃を受けました。

もちろん、我が家もそうでしたし、多くの日本人駐在員が香港にいました。

友だちになった方たちも、香港に「稼ぎに」いらしていて、何年かしたら、自国?に戻ると言っておられました。イギリス、アメリカ、南アフリカ、ノルウエー、オーストラリア、インド、、、。

今は減っているのでしょうか。

当時日本人駐在員とその家族は、3万人という数字を記憶しているのですが、調べたら、こんな資料をみつけました。
少し古いのですが、2万人半ば前後。減った印象です。

 

日本でも外国人労働者が増えていますが、コロナで減り、また戻っているとも聞いています。

人口推計をみれば、日本人の人口減を補って余りあるのが、外国人。

香港では、有能な方たちが国外に出ていると聞きました。

 

そもそも、香港内で自給できるものは無くて(私の知る限り、食料、水、エネルギー、車、、)、中国本土や世界から輸入しています。

返還当時、香港に水道を通すのに尽力された日本人の身内の方が香港に赴任されました。商売に良い影響を及ぼすという判断だと思います。それくらい、香港の水は、大変な苦労があって完成したものなのだそうです。香港の水の話は機会があればまた。

自由貿易港、香港ですが、車はぜいたく品で、そこに税金がかかっていたと記憶しています。
今調べたら、自動車初回登録税というのだそうですね。

車を買うと、日本の倍の値段、という感覚でした。
外車が多くて驚きましたが、考えれば、香港産の車はありませんから、すべてが輸入で外車なんですね。

最近、日本でも車の価格が上がり、外車が増えています。
車の関税は貿易の自由化でかかっていませんから、国産も外国産も同様に扱われている、ということですね。

香港は広東人の方が多くて、広東語を話している方が多かったのですが、当時の香港で、英語を話せる人も多かったです。英語教室に行ったら、香港の方や、韓国の方がきていました。
まちには、英語の表記があふれていました。当然ですね。

中国に返還されてから、北京語を話す人が増えたと聞きました。
逆に、英語が通じなくなった、とも。

日本でも、英語だけでなく、ハングル、中国語、、、様々な言語の表示が増えています。
大田区ですと、「多文化共生」と言っています。

学校では、小学生から英語を学ぶようになりました。

仲良くするのは当然のことで、政策以前の話ですが、大田区の政策にも「多文化共生」が入っています。
「政治が仲良くせよ」「一緒に生きよ」と言っているのをみると、どういう真意かなあ、と思います。

政治が、「多文化共生」の名のもと、国民、区民と、それ以外のすべての人=一時的に日本や大田区にいる人含め、同等に扱おうとしています。

香港に実家のある友人が、イギリスから返還になったら、税金が安くなり、香港の人に戻ってきたので、うちのおばあちゃんも返してもらえた、と言っていました。(記憶があいまいでごめんなさい)

大田区は、羽田空港がありますから、国際化の玄関口です。

 

日本と当時の香港は似ているのか、気のせいか。

これからの日本は、当時の香港をたどるのか、また別の道を歩むのか、政治、政策面でもしっかりと見ていきたいと思います。