対症療法にとどめ、本質的な議論をしたくない、させない、とどうなる?大田区

今の政治は、根本的な制度の欠陥を明らかにしないで、対症療法ばかりです。

労働人口の減少や高齢化による福祉需要の増加で、大田区の財源がひっ迫するという問題も、根本的な問題まで掘り下げれば、日本の場合には、
●まず、所得の分配や、
●次に、所得の再分配である、税制の在り方
の議論をしなければなりません。
ところが、対症療法なので、
●厳しく徴収しよう、(収納率アップ)
●保育料や施設使用料を引き上げよう、(値上げ=実質の増税)
●簿外にして負担を見えなくしよう、(民営化)
●国や都の補助金をあてにしよう、(国債発行への誘発)
●福祉を削ろう、(サービスの低下)
●借金をしよう(区債・PFI)
といった方向に流れていきます。
たぶん、この先には、
●土地を売ろう、(かつて、郵政民営化でカンポの宿などがタダみたいな値段で売られましたね)
が待っていると思います。

区政の問題は、国政や都政と密接にかかわっていて、そことの関係無しには語れません。

この議論をしなければ、現制度を前提にした話しかできませんから、根本的な問題は常に先送りされ、対症療法ばかりが蔓延します。

ちょうど、今の政治のようですね。

これは、日本全体の問題でもありますが、大田区では、そこに本質的な議論を持ち込もうとすると、排除する力が働いています。

本質的な議論に持ち込まないために、動議をかけるのは、民主主義の自殺行為です。

先日は、総務財政委員会の委員長が、事業概要についての質疑をさせませんでした。「質問してはダメ」と言ったのです。

総務財政委員会の委員長は、奇しくも、行政の長である松原忠義大田区長のご兄弟。

しかも、驚いたことに、そこについて、質問したいと発言した議員に対し「一問だけなら」と許し、さらに発言しようとしたら、「報告させず机上配布すればよい」といった委員もいました。
これでは、都合の悪いことは報告させなければ、議論させないことが出来てしまいます。
そういえば、2013年に都議選落選し2年間のブランクののちに大田区議会に戻ったとき、委員会報告すべき案件の多くが机上配布されるようになっていて驚きました。
区議会を活性化させることも、様々な形で無力化し、形骸化させることも、可能だということです。
そして、それをするのは、選挙で選ばれた議員だということです。
議会制民主主義から、議会を無力化し、ナチスドイツの独裁が生まれました。
こうやって、少しづつ、大田議会が無力化することに危機感を覚えます。