政治が良くならない理由

政治が良くなりません。みんなで選んだ結果なのに、期待されている社会にはなかなか近づかない。
それは「奈須りえ」の求める社会でないだけで、「民意」なのだ、と選ばれた多数派は言うでしょう。

でも、その多数派がこうじた政策の結果が、格差を拡大し、税負担を重くし、私たちの不安は大きくなっています。

街頭に立って、今年の大田区が、消費税10%を前提に組んだ予算は、福祉費割合が減っています。増税されても一人当たり福祉費は減ると伝えると、多くの方たちが足を止めます。

大田区の民営化がコストが下がらず、下がったのは現場の職員の賃金で差額は、民営化事業者の利益に流れた、だから、税金で安定した雇用を!というと、頑張れ、とサインが送られます。

不安は大きいし、政治に「期待」もしている。少しでも良くなれば、と思っているのです。

私が見る限り、政治は、子育て頑張る、介護頑張るは言いますが、多くの政治家は「政策の失敗」や「問題点」は言いません。多くの政治家が、悪くなることに賛成するから状況が悪化していくのに、です。

どこが、誰が、やっても同じだと言う人もいますが、「どうやって社会を良くするか」実はその「政策=手段」を「政治=候補者や政党」の多くは示していません。

提案している計画や議案や予算が、結果として、将来どう言った状況を作るのか、も言いません。

多くの首長や議員が、問題のある予算を作り、それに賛成し、さらに悪くなる法案・議案に賛成するから、私たちの暮らしは良くならないのです。

首長が言うことだから、行政は間違えないから、自分の政党が国で賛成したから、と特段自分で調査もせず賛成する議員や政党もあるかもしれません。

支持者に言われているから賛成する場合もあるでしょう。

でも、そこに、地域で暮らしている私たち住民の声はあるでしょうか。

 

多くの住民は、政治が何をどうしているのか、細かい政策に関わらず、抽象的な子育て頑張る、介護頑張るを信じてきました。

いまの政治が、常に、私たちの暮らしのために税金を使い、制度を作っているわけではないこと、逆に、私たちを守っている「規制」を「緩和」して、私たちを自己責任の無法地帯に少しづつ導いていることを知っていただきたいと思います。

良くすること、これ以上悪くしないことは、現場の問題点がどこにあるか知り改善するために何をすべきか、新たな制度が私たちにどのような影響を及ぼすか知り、それを認めるか否かを判断するところから始まります。
 

フェアな民主主義奈須りえは、区民の皆様から頂いた議席を使い、知り得た情報をわかりやすく提供し、問題提起し続けています。