2016年度決算討論~大田区に地方分権された国の無駄な公共事業~

決算委員会で、地方分権や民営化の効果を検証しました。そして、見えたのは、無くなったように見えた国の無駄な公共事業の一部が、大田区に地方分権されていたということです。もしかしたら他の自治体で同様のことが起きているかもしれません。以下、2016年決算の奈須りえの討論です。

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「生活重視の政策へ転換するために」と説明して推進してきた地方分権ですが、2000年の地方分権一括法施行から17年が経過しました。大田区は、生活重視の政策へ転換できたと言えるでしょうか。
保育園の待機児は未だに解消されていませんし、認証保育所に入れた人は待機児に入れないことにしましたから、保育サービスはさらに足りない状況です。
特別養護老人ホームの待機者も依然と多い状況で、それでは住み慣れたわが家に住み続けられるかといえば、経済的な負担を心配する人も少なくありません。
生活課題は解決できていないのです。
相次ぐ航空機からの落下物は、飛行ルートを3km離れた車にも、家にも中学生の肩にも落ちました。ところが、羽田空港飛行ルート変更は、国の決めることだからと、区民の陳情に対し、区民が直接国に聞けばいいと大田区は国に責任転嫁しています。安全と快適な住環境のために国に働きかけ、羽田空港を沖合移転させた当時の大田区の方が、地方分権を体現していたと言えるでしょう。
  地方分権どころか地方自治の放棄です。
 しかも、決算委員会で、地方分権で進んだ民営化の効果について質問したところ、認可保育園のコスト削減について、大田区は、直営であれば、全額大田区の負担であるところ、民立民営になれば、国や東京都から給付金があるため、区の負担額が縮減されると答弁しています。大田区は、民営化すれは、効率化され運営経費が安くなる、のではなく、国や都の給付金が入るため、その分、大田区の一般財源を使わなくてすむと言ったのです。
認可保育園の民営化は、市場経済の競争原理でサービスが向上し価格が低下しないことは、上がり続けている認可保育園の公定価格からも明らかです。
 保育士の低賃金が大きな社会問題になっていますが、平成29年度の公定価格に算定されている保育士の人件費基準額は、東京都で456万円。さらに延長保育や休日保育、アレルギー対応などの加算もあり、公定価格の基準通り保育士に支払っていれば、保育士の低賃金がこれほど大きな社会問題になることはなかったはずです。
大田区は、独自に保育士に直接月額1万円を振り込む事業を創設しました。公定価格では、市場経済原理が働かないこと、サービスが向上しないこと、賃金というコストを削減し、利益を上げている事業者がいることを大田区がわかっていたということです。
大田区は、保育士の低賃金という問題を知りながら、一般財源を確保するため、このまま民営化を続けていいのでしょうか。
決算委員会では、民間委託や民営化を直接雇用や正規雇用などに転換し、コストを削減して従事者の賃金を上げ効果をだしているソウル市を事例に、同様の取り組みを提案しました。大田区は、人件費に区民の税金が十分使われていない問題を分かっていながら、民営化を続けると言います。少なくとも、支払った基準額相当の賃金が支払われない現状を改善すべきではないでしょうか。
そのうえ、民営化すると、認可保育園は違いますが、たとえば指定管理者で利用料金を採用している区立特養や体育館、伊豆高原学園の保養利用金額は、大田区の歳入・歳出から消えてしまいます。
そのため、民営化すればするほど、国民の税負担は低く見えるのですが、実際の区民の負担が減ったわけではありません。
ちなみに、消費税は、この国民負担率が外国より低いから引き上げるという理屈のようですが、日本は国鉄も郵政も民営化しましたから、かつては歳入に入っていた切符代も切手代も歳入から消えています。そもそもの賃金水準も、制度も実態も違うのに見かけの数字(国民負担率)で税負担が左右されるとは、乱暴な話です。
 私たち区議会は、制度の変化に伴い、みえにくくなっている区民の負担にも目を向けないと、区民の負担を過小評価し、可処分所得を見誤ることになります。
大田区は、民営化で、運営経費が縮小し税負担が減るのではなく、国や都の給付金が入るため、その分大田区の一般財源を使わなくてすむと説明しています。
それでは、浮かせた財源は何に使っているのでしょうか。社会保障の責任主体として、優先順位の高い認可保育園や介護などに使われているのでしょうか。
松原区長になったころから、待機児対策のための土地は無いと言いながら、すでに大半を売却した区役所近くの土地、水神公園、総合体育館隣接地など、無計画、無目的の土地購入が目立つようになります。一過性のイベントや補助金なども増えました。体育館の計画変更による規模の拡大や大森北一丁目開発の根本的方針転換でもいわれた「にぎわい」のためのまちづくりなど、社会保障以外の分野の大きな税金投入が目立ち始めるのも平成19年以降です。
ちょうど、保育のために住民税が引き上げられ、都区財調の交付割合が52%から55%に増えたのがこのころです。
保育が自治事務になり国や都の補助が受けられなくなるから、と増税し、財調割合を引き上げたのに、民営化で国や都から補助金をもらって、こうした優先順位の低い事業の費用をねん出していた、とは言えないでしょうか。
公共施設の老朽化で財源をどうするかが課題ですが、学校施設は複合化で更に費用負担を増やしています。平和島ユースセンターの建て替えも、本体は長寿命化と言いますが、ホテル棟増築で床面積は6割増し、総建設経費は倍になるかもしれません。
地方分権元年の2000年から増えている歳入総額553億円の大半は、地方分権だからと生活課題を解決するためにと増収したものです。これらが、開発・土木・建設・イベントに使われているのです。地方分権の2000年以降、国の無駄な公共事業は7割に減りましたが、一般財源と、特に都区財調割合の見直しで歳入が増えた23区で無駄な公共事業を行っているという構図ではないでしょうか。
これが、空港跡地開発、蒲蒲線へと続こうとしています。
国や都の補助金も私たちが支払う税金です。補助金で一般財源を確保し、無駄な公共事業を行うことを良しとしているなら、認識を改めるべきです。
特に、蒲蒲線は財源について、都区財調に算定するかどうかの協議を東京都としているそうです。財調割合55%は変わりませんから、算定費目や金額が増えれば増えるほど、他の財源が相対的に減ることになります。大都市事務として長年財調算定されてきた社会保障関係財源を削ってでも蒲蒲線は行うべき事業でしょうか。
しかも、大田区は、区民満足度が8割になっていることをあげ、生活課題が解決できていると答弁していました。
最近ニーズが政策課題になっていますが、社会保障の目的は、厚労白書にもあるように、国民の生活の安定が損なわれた場合に、国民に健やかで安心できる生活を保障すること、です。
大勢の、暮らしの安定している人が望む「便利」や「快適」や「楽しい」にばかり税金が投入されれば、弱者が切り捨てられることになります。 
 声を出せない人、小さな声にこそ、社会保障の責任主体の大田区は寄り添うべきではないでしょうか。たとえたった一人だとしても、健康で文化的な最低限度の暮らしを守るため、大田区が手を差し伸べるべきことがあるはずです。
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 経済の中心東京は、そこにある仕事に多くの人があつまり暮らしています。仕事で集まった地縁血縁が希薄な人たちが暮らす都市部だからこそ、行わなければならない社会保障があるはずです。
 最後の自治省の事務次官として務められた二橋正弘さんが、東京市政調査会発行の「都市問題」2008年9月号において、中央省庁が地方を信頼できないから任せられない とコメントしています。
 内閣地方分権改革推進室も、自治体が適切な判断や財産権の制約、公共性の担保、需要の判断、利用者の生活安全、質の確保が困難であると、事務権限移譲に反対していました。
 残念ながら、今の大田区の状況は、国が心配し指摘した通りの結果になっている と言わざるを得ません。
そして、それは、地方分権推進委員会委員だった西尾勝氏の指摘の通り「政界・財界が望んだこと」で「官から民へ」「国から地方へ」進んできたと言うことなのでしょう。
しかし、たとえ、国や財界の思惑がそうだとしても、大田区は、区民に約束した生活重視の政策転換を目指し、できることから一つずつ行っていくべきではないでしょうか。
 社会の安定、経済の安定に寄与する社会保障は、市場に任せておくものではなく、誰かが決めなければなりません。地方分権時代における大田区の責任をどう果たすかは、大田区議会が予算決算を通じ、その決定を委ねられています。
次の予算編成への大きな転換とするためにも、この決算の認定に反対を主張し、討論といたします。