行政不服審査制度から考える、措置から契約へ、の意味 権利としての主体から、選ばれないこともある客体へ
議員になったばかりの頃に、福祉制度が、「措置から契約」へと変わり、良いことなのだと説明を受けました。
お上からの一方的な、押し付けの?「福祉」から、
当事者が選べる福祉になったので、
よくなったという風に説明されたのだと記憶しています。
私には、ぴんと来ない説明で、「違和感」をもってきました。
議員として、経験を重ねていて思うのは、
量の足りなくて、
給付の対象外で
十分受けられない、排除される福祉の問題です
契約は、双方の同意のもとに、はじめて成立します。
サービス提供側の合意がなければ、サービスを受けることもできないのが契約だということです。
行政は、一定の要件の下では、行政はサービス提供すべき存在で、利用者側にとっては権利で、それが、「措置」ということだったのです。
だから、要件を満たしているのに、サービスを提供しなければ
行政不服申し立ての対象になります。
お上からの一方的な、押し付けの福祉=措置がよくないといわれてきたのに
契約になると、
サービス提供者側が、NOを言えば、
利用者は、利用することもできず、
行政に、不服申し立てもできません。
サービス提供者側主導の福祉になりはしないでしょうか。
しかも、その提供者に、
営利企業が、どんどんと参入し、拡大しているのです。
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議員になったばかりの頃に、福祉制度が、「措置から契約」へと変わり、良いことなのだと説明を受けました。
行政処分である措置制度から、個人が自ら選択し、それを提供者との契約により利用する制度への転換は、お上からの一方的な、場合によっては、行政の独りよがり的な「福祉」から、当事者が選べる福祉になったので、よくなったという風に説明されたのだと記憶しています。
私には、ぴんと来ない説明で、「違和感」をもってきました。
議員として、経験を重ねていて思うのは、
選べるということは、選択肢が多くなければなりませんし、量も十分でなければなりません。
選んだら提供を約束される状況が前提ですが、多くの福祉サービスは、選択肢や量が足りなくて、困っている方が、多かったからです。
保育園は、待機児が多くて、希望しても入れませんでしたし、
障害を持っている方の中には、学童保育を受け入れてもらえない方もいました。
選べる前に、すべきは、
【基準を満たしている方へのサービス提供を、行政側に守らせる、義務付ける】だと思ってきました。
先日、
行政不服審査について、大田区に説明を受けたとき、対象事業が、行政処分だとうかがい、
この間の「措置」から「契約」へ、
で、福祉サービスは、行政不服区申し立ての対象ですらなくなってしまった、ことに気づかされました。
措置から契約は、私たち主権者の権利を確保する「前進」ではなかったのです。
契約は、双方の同意のもとに成立する。
サービス提供側の合意がなければ、サービスを受けることもできないのが契約だということです。
利用者が、ヘルパーを見つけられないという話を聞きます。
単価が安くて
困難な仕事にヘルパーがなかなか集まらないという話も聞きます。
少ないヘルパーと
多くの利用者
利用者が選ばれなければ、サービスを受けることはできません。
行政は、一定の要件の下では、行政はサービス提供すべき存在で、利用者側にとっては権利で、それが、「措置」ということだったのです。
十分守られないこともありましたが、
そこで、サービスを受けられなければ、不服申し立てをすることで、権利を確保してきたのです。
2000年の介護保険導入により、高齢福祉は「措置」から「契約」へと変わり、障害者福祉も、支援費制度の導入で、「措置」から「契約」へと変わりました。
厚生労働省は、これらに加え、子育て支援も、子ども・子育て支援制度に移行していて、措置制度から契約制度への転換が一層進んでいくと、説明しています。
お上からの一方的な、押し付けの福祉=措置がよくないといわれてきたのに
契約に変わると、
サービス提供者側が、提供しなければ、
利用者は、利用することもできず、
行政に、不服申し立てもできません。
サービス提供者側主導の福祉になりはしないでしょうか。
しかも、その提供者に、
営利企業が、どんどんと参入し、拡大しているのです。