主権者の声を政治に届ける「フェアな民主主義」のために 選挙と多数決だけで主権者の声は政治に届きません
大田区議会議員になって、意思決定の場は、主権者の声が届きにくいことに気付かされました。
行政が作る計画や方針は、行政内部で作られ、そこに区民の声や意思はありません。
たとえば、突然降ってわいたように始まった「蒲蒲線のまちづくり」あらため「鉄道沿線まちづくり構想」が誰の声で作られたか聞きましたが、行政内部で作られ、そこに区民の声はありません。
大田区は、パブリックコメントで意見を聴くと言いますが、出来上がった案がパブリックコメントで大きく変わることはありません。
区民の声はどう反映されるのか、議会で発言すると、選挙があるじゃないか、と与党席からヤジが飛びました。
選挙で投票しているから、それが区民の意思。
結果、多数を占めている与党が、議会で多数決で決めているのも有権者の意思、
既に選挙の場で区民の意思は聴いている(個々の施策に聞く必要なない、議員の意思=区民の意思)という主張です。
今の、民主主義は、選挙と多数決の民主主義なのです。
これは、議員が、全体の奉仕者として(議員も特別公務員ですから、特定の誰かの利益のために動いてはいけませんんね)、機能している場合には、そういう論も”あるのかも”しれません。
実際は、そうはなっていませんね。
さらに、
【1】低い投票率
だと、投票に行かない人の声は、政治に届きません。
【2】スローガンのような政策
だと、実際の議会での賛否や主張と、スローガンが印象付ける言動とは大きく違っていることが少なくありません。
身を切る改革と言っていたら、切られたのは、区民の身だということもあります。
公務員の給料を減らせば身を切る改革だと思っていると、自分たちのこどもの世代の雇用を失います。
低賃金の保育士や介護従事者は、身を切る改革から生まれているものです。
保育士のなり手がいないのではなく、低賃金で不安定な仕事のなり手がいないのです。
大田区で公立保育園の保育士を募集すると、定員の何十倍もの応募があることが、それをあらわしています。
【3】議会での言動と違う選挙演説
選挙演説の場で、実際の議会での賛否や発言と全く違うことを言っている人たちもいます。
議会で、その予算や議案に賛成している政党や議員なのに、街頭で批判して見せるのは、聴いていて、憤りを覚えます。
だから、私たちの声が政治に届きにくいのです。
乗り越えるのは、1から順に難しくなっていくわけですが、
それを一つ一つ乗り越えていくのが、民主主義をフェアにしていくことだと思います。
今回の大田区議会議員選挙は、
・静かな選挙
・候補者の多い選挙です。
静かな選挙・候補者の多い選挙は、
1~3を全く逆の方向に向かわせます。
投票率を低くし、
争点を見えなくし、
候補者の違いを見えにくくします。
どうか、
大田区政に関心を持っていただき、一つでも多くの情報を手に入れて
投票していただきたいと思います。