「大森北一丁目開発の問題について(質問全文)」:実際のやり取りとは異なります
事業者募集する段階になっている「大森北一丁目開発」ですが、もう一度、これまでの経緯と現状について確認するという視点で質問しました。
一部の議員は、前政権が北行政センターを置きこまないという方針転換をしたと聞いているため、北センター三課を置きこまないと、いつ方針転換したのか質問し、今年6月であり、松原区長になってからの方針転換であることを確認したうえで、方針転換の理由を確認しています。
代表質問で、
「区議会の議決は、北行政センター三課を置きこむことが前提ではなかったのか、議決したにもかかわらず北調整センターをおきこまないことは、議決をくつがえすことになり問題ではないか」と質問しました。
これに対し区は、
「議決は、土地交換の差額2億8500万円の補正予算のための議決であり、土地交換に関わる議決は不要だった」 と答弁しました。
これは、この土地交換は、大田区の「財産の交換・譲与・無償貸付に関する条例」に従い執行したという意味の答弁です。
条例に従ったという答弁だったので、条例を確認してみると、この土地交換条例は、土地交換できるのは、公用・公共用の場合としています。
公用・公共用の意味、そして、民間によるにぎわいの創出は公用・公共用にあたるかどうかについて質問したところ、公用とは区役所などの事務をとるための施設。公共用は、図書館・文化センターなど区民が広く利用できる施設。 「民間によるにぎわいの創出」は、公用・公共用にあたらない。 という答弁を得ました。
大田区は、この土地交換のために、その差額2億8500万円の補正予算を組んで支払っています。
土地交換してしまったために見えにくくなっていますが、19億1068万円という評価額でこの土地を取得しているのです。
これだけの莫大な区民の税金・財産を投入し、土地交換を行ってまで公共機能を充実させると説明しながら、あいまいな「民間によるにぎわいの創出」という言葉で説明するだけで、北センター三課を置きこまず、定期借地権の期間が30年から50年のプランに変更になっていることの理由や根拠さえ区民に示せずにいます。
なぜ、北センター三課を置きこまず、定期借地権の期間が30年から50年のプランに変更になっていることの理由や根拠を示せないのか という質問をしましたが、それに対する 納得のいく根拠は示されませんでした。
大田区は、平成18年度の決算書に、「成果」として「大森北一開発の調査」費用1100万円をあげています。
現在は、50年の定期借地権、北センター三課もおきこまれない計画となっていますが、調査結果は、北三課をおきこみ、30年の定期借地権、定期借地権終了後に、区が建物を買い戻すことが最も良いと結論付けています。
区がこれを成果というなら、その後の変更は、どのような根拠なのか調査報告書以上の論拠をもって区民に明らかにしなければなりません。
しかも、これを施策の成果として平成18年度の決算書に掲載するほどに庁内の意思統一がはかられてないことがわかります。
当初の北行政センター全課がおきこまれる計画では、現在使用面積からおおよその計算で公共利用割合が、ほぼ7割から8割になるのではないでしょうか。
それが、平成17年の第三回定例会において、土地交換に関わる議決を行う際の説明では、大田北地域行政センターのまちなみ整備課を除いた3課・出張所・図書館のみの移転にかわり公用・公共用使用部分は5割をきってしまいました。
今年6月14日の都市整備委員会の報告で、更に公機能が縮小され、行政センターを置きこまないことになってしまいました。この6月の計画・方針変更によって、区使用部分が(先日の佐藤伸委員の計算では15%と言っていましたが)2割をきるプランに変わってしまいました。
地元の方たちを中心に「入新井街区施設建設構想懇談会」が行われ、地域に必要な施設についてのワークショップが開かれているのですが、そこでの施設の提案が、平成17年、土地交換を決定した当時の決定文書に添付されています。
提案には、予定されていた北センターや図書館・出張所のほかに、高齢者施設、中高生の居場所、こども家庭支援センター、幼児教育施設、保育施設、防災センター、駐輪場、専門図書館、障害者施設など数多くの公共機能への要望があげられていて、区民の大森の中心核への公共機能へのニーズの高いことがわかります。
また、平成17年の第一回定例会には、「中心核として公共施設を整備することで地域の拠点としての機能を果たすことができるため交換して欲しい」という陳情を大田区議会として採択しています。
「大森北一丁目地域に公共施設整備が必要だと区民も要望している、大田区議会もそのように陳情を採択した。だから土地を交換し北一丁目開発を行います」となったわけです。
これが、大田区、そして大田区議会が区民に説明しながら北一丁目開発事業を進めてきた経緯なのです。