今年の初めに書いたブログでもお話ししましたが、最近、政治の場面で生活者ということばをよく耳にするようになりました。
これまでの政治が、いかに生活者の方を向いて行われてこなかったか、という事でもあります。
団体や組織などに約束をする国会議員を真似て、地方議員が同じ選挙を行い、政治活動をすれば、そこに生活者は存在しません。
私たちのくらしに最も身近な地方議員は、生活者に対して約束をしていかなければならないのです。
だからこそ、今、地方政治家が、生活者にたいし、政治家が、何を、いつまでに、どこまで行うかを約束するの「マニュフェスト」で選挙を行わなければならないのです。
そのためには、地方政府(区市町村)は変わらなければなりません。
議会と首長という二元代表制のそれぞれの機関は対等でなければならず、議論をして政策を決めていかなければこの国の民主主義はありえないと北川さんは言われます。
行政の追認機関である議会は必要ありません。透明性を確保し、議会のチェック機能を高め、立法権(つまり、行政がなすべきことを決める条例=地方政府の法)を行使しなければ議会は仕事をしていることにはならないと北川さんは指摘します。
また、地方政府が政策選択し実現可能にするためには、更に分権が必要です。
そして、何よりも、こうした状況を作るためには、国民が変わらなければならないと北川さんは主張します。
生活者ネットワークは、政党が「生活者」という言葉を使う何十年も前の1970年代初期に生活者を議会に送り、議会に生活者の声を届けようスタートした国会議員を持たない、地域の政治グループです。
私自身、議会内では勿論のこと、様々な機会あるごとに、現状の議会や行政の透明性や説明責任の不十分さを指摘し、改善するようもとめてきました。
残念ながら、日本の一部の先進的な学者やオピニオンリーダーは、日本の現状とその問題に気づき、活動を始めていますが、肝心の議会や行政にまで、その波は届いていません。
北川さんが良く使われる「北京の蝶々」の話に期待をし、ハリケーン前夜であることを信じて頑張りたいと思います。
◆北京の蝶々
カオス理論において、初期条件のわずかな差が時間とともに拡大し、結果に大きな違いをもたらすことを「バタフライ効果」と呼ぶ。「北京で一羽の蝶々がはばたくと、ニューヨークでハリケーンが生じる」とたとえられる。ミクロの“ゆらぎ”がマクロを制すという考え方の象徴的な例。