「ひとにやさしいまちづくりを進める大田区民の会」の参加も今回で4回目になります。
毎年参加し、一階のブースでの展示と、ステージを使っての会のアピール、4階のコンベンションホールでの講演を行ってきました。特に、4階のコンベンションホールでの講演は、ユニバーサルデザインの川内先生、交通バリアフリー法の秋山先生、そして、昨年は、福祉用具について皆で考えようということで、福祉の専門紙である「シルバー産業新聞の安田編集長」をパネラーにパネルディスカッションを行うなど、その時々のまちづくりの会のテーマや、課題に即した講演を行ってきました。
今年は、「みんな(団塊世代・シニア)と共に考えるやさしいまちづくりとは」と題し浅野史郎宮城県前知事に講演を行っていただきました。
浅野さんを講師に選んだのは、今年の東京生活者ネットワークの新春の集いと「疾走12年 アサノ知事の改革白書」出版記念パーティーで浅野さんのお話をうかがい、二つの点で共感を覚えるとともに大きな感銘を受けたからです。
ひとつは、多選を良しとせず多くの県民の期待を受けながら潔く三期12年で県知事を辞したこと。
そして、もう一つは、「みやぎ知的障害者施設解体宣言」
生活者ネットワークのルールの中に、議員は最長三期でローテーションするとあります。これは、議員を職業化、特権化しないため、常に議員が市民であり続けるためのルールでもあります。
知事は議員以上に特権を持った役割ですから、議員以上にその弊害がでてきます。
例えば、今年の第四回定例会(12月議会)に多選禁止条例を上程しようとしている松沢成文神奈川県知事は、多選の弊害を『中央公論』1990年3月号に次のように列挙しています。
①強大な権力を同一人物が長期間にわたって独占することで、政治の独裁化を招き民主主義の本質に反する恐れがある、
②知事の個人的つながりが県庁内外に扶植され、人事が偏向し行政が側近政治化し、県政が私物化される危険がある、
③県政がマンネリズムに陥り、職員の士気も沈滞して清新な県政が期待し難くなる、
④知事と議会の間に一種のなれ合いが生じ、県政についての正常なチェック・アンド・バランスが保たれなくなる恐れがある、
⑤県の個性が強くなり、国の施策の徹底が困難になりがちになる、などが挙げられている。
これらに対する反論として、選挙で県民が判断するのであるから民主主義を認める限り差し支えないのではないかという考えがある。これに対しては、
⑥知事の在任中に事実上の選挙運動が行われる結果、選挙が公正に行われにくく、選挙そのものの基礎が信頼し難い、したがって、
⑦新人の交替による人材の発掘が困難になりがちである、また、これらの弊害に鑑み、アメリカ合衆国では大統領と多くの州知事が、多選を無条件または連続的に行うことも禁止していることも、民主主義の経験を経た上に出された最良の方法であることを実証しているというものである。
論文では、これに、反論も併記されてはいますが、これを読んでいると、やはり多選は良くない。自粛するべきであると考えるわけです。
浅野さんの著書にも、率直に、そしてユーモアまじえ、特別待遇の心地よさとそれに甘んじがちになってしまう人間の弱さが書かれていますが、それだけでなく、「権力は、長くなれば腐敗するとは言わないが陳腐化する」と発言しておりだからこそやめたことの重みが伝わってきます。
特権にしがみつくことなく、新たなチャレンジをするには57歳が最後のチャンスであると潔くやめた浅野さんの講演に魅了されました。