「地方分権」と「広域化」~清掃事業からみた23区の自治権について~

23区のゴミ問題は実に複雑です。 ①収集・運搬は各区。 ②焼却は「東京23区清掃一部事務組合」という地方公共団体を23区共同で設立し、清掃工場を管理運営しています。 ③埋め立て処分場は東京都。
23区はもともと東京市の内部団体だったという経緯があり、その後東京市が東京都になり、23区は内部団体から特別区となり基礎的自治体として位置付けられましたが、23区の清掃事業は東京都が行ってきていました。
それが、都から区に移管され現在のしくみになったのが平成10年です。
②の焼却について、当初、当分の間として、共同処理を始めましたが、その後、平成15年に各区に清掃工場を持つ必要は無い(これ以上清掃工場を建設しなくてもよい)という判断が有ったのち、この当分の間としていた、共同処理のその後の在り方についての検討が全く行われなくなりました。
基礎的自治体の事務である清掃事業を900万人が住む地域=23区において、共同で処理することが、果たしてどれほどのスケールメリットがあるのか、またスケールメリットと自治権拡充のどちらをとるのかなど、重要な論点が放置されたまま、共同処理が既成事実化しています。
そんななか、さらに共同処理を固定化させるような条例改正および規約改正についての議決を求められましたので報告します。


第105条「大田区廃棄物の減量及び適正処理に関する条例の一部を改正する条例」およびおよび第115条「東京二十三区清掃協議会規約の一部を改正する規約に関する協議について」について反対の立場から討論いたします。

清掃事業における都区移管の原則がおおきく揺らいでいます。

基礎的自治体の事務である清掃事業は、それまで、東京都が行てきましたが、特別とつきこそせよ、23区は、面積、人口、財政、制度、どれをとっても基礎的自治体としてひけをとるものではありません。

その23区において、都区財政調整制度の前に、解決しなければならなかった自治権拡充の課題が清掃事業だったといえるでしょう。

都から区への移管の過渡期の手段としてとられたのが、共同処理であり、そのために設立されたのが、東京二十三区清掃一部事務組合であり、東京二十三区清掃協議会でした。

だから、一組は、「当分の間」という但し書きがついているのです。

ところが、その原則が大きく揺らごうとしています。

大義名分は、「効率性」あるいは「経済性」です。

今回の、清掃協議会の規約の変更が、まさに、この効率性経済性の論理で行われようとしています。

しかし、共同化が効率であるなら、基礎的自治体はそもそも不要であり、その論理の背景にある、共同化に伴う、自治権の希薄化=自治の形骸化こそ問題視すべきです。

生活者ネットワークは、一組の共同処理が、逆に、清掃工場などの規模とごみ量のかい離を生み出すとともに、経営の透明性をはばみ、高コスト体質を招いている常日頃から指摘しています。

しかし、仮に、わずかな効率性のために、民主主義の原則である区民意見が反映されない、官主導の公共団体を存在させることになるなら、私たちは、民主主義の原則に帰るとともに、23区自治権拡充のためのしくみの確立に向かっていくべきです。

 

区長会で合意されたということですが、各区の自治権を主張する区長がいなくなり、東京都の遠隔操作の中で安住することを選ぶなら、23区の自治はさらに遠くなり、都区財政調整制度の改革も望めません。

 

第105条における手数料の算出根拠については、共同処理の外側にある収集運搬について、各区単価の異なる収集運搬費を23区が平均して負担するという23区の努力が反映しないしくみです。少なくともb、各区の処理単価を公表し、各区の努力をうながすようにすべきですが、各区の単価さえ公表せず、手数料の引き上げには到底賛成しえません。