2008年がスタートしました。

 年頭の福田首相の挨拶に「生活者」という言葉がありました。
 民主党の昨年の参議院選挙のキーワードも「生活者」。確か、公明党も「生活者」という言葉を使っていましたよね。

 「生活者」という言葉を政治に登場させた元祖である生活者ネットワークの議員としては、非常に興味をそそられる現象です。

 たぶん、政治の場面に「生活者」という言葉を登場させるのは、「生活者」主役の政治をします。とか、「生活者」の視点で政策を作っています。とかいう意味だと思います。

 そして、たぶん、その対極にあるのが、「企業」だったり、「業界」「団体」のための政治ということなのでは無いんでしょうか。

 ところで、私は、少しも映画通ではないので、間違っていたら指摘していただきたいのですが、アメリカの映画を観ていると、「家族愛」がテーマになっている映画が多いですよね。
 これって「家族愛」にあふれているアメリカだからというよりも、「家族」という絆が危機的だからせめて映画だけでも、ということだったりして・・・。できれば、やっぱり「家族」って大切だからもっと大事にしようね。だと良いんですが・・。

 そこで、「生活者」なのですが、これも、政治の場面に「生活者」が登場しなくなればなるほど、もしかしたら「生活者」が登場してしまうのでは無いかと、元祖「生活者」の私としては、心配をしています。

 地方分権の本来の目的は、生活課題を解決できるしくみをつくることにありました。国ではない基礎的自治体=市区町村が、実生活に即した政策を実行することを可能にするのが地方分権(=地方主権)です。
 地方の人口密度の低い過疎地域と東京の密集した地域とで、高齢者福祉が、まちづくりが、環境問題・・・が一律同じしくみでうまくいくはずがありません。
 また、その生活課題を解決するためには、生活者(=市民)がそこに存在していなければなりません。
 生活者(=市民)がそこに存在し、生活課題を解決するしくみをつくる、これが市民参加ということであり、「生活者」が主役の政治が実現できることなのではないかと思います。

 国政政党が「生活者」と言ってくれるのは、自治体に権限を委譲し、自治体独自の政策実現を可能にしよう=地方主権をさらに進めようと言ってくれているのに等しいはずなんですが・・・。


なかのひと