教育委員の任期満了に伴い、新たな教育委員の選任が行われました。
教育委員会委員の任命に伴う区議会の同意について反対しました。
以下、討論です。
今回の
教育委員会委員の任命に伴う区議会の同意については、属人的な資質などによるものではなく、行政の仕組みの政策的見地から討論させていただきます。
教育委員会委員の任命にあたり、これまで、多くの委員は、住所も職歴も、あるいは職歴や活動歴の場は、大田区である方がほとんどでした。住所も職歴も大田区の経験が無い方は、調べてもいただきましたが、初めてではないかと思います。
調べたところ、文部科学省のHPに、こう記載されていました。
戦前においては、教育に関する事務はもっぱら国の事務とされていたが、教育行政の地方分権、民主化、自主性の確保の理念、とりわけ教育の特質にかんがみた教育行政の安定性、中立性の確保という考え方の下に、昭和23年、「教育委員会法」が制定され、地方公共団体の長から独立した合議制の行政委員会を設け教育に関する事務を主体的に執行するという新しい地方教育行政制度(教育委員会制度)が発足した
敗戦後、旧法の教育委員会法では、
教育委員の選任方法について、公選制を採用していたのです。
当時は、
・選挙が実質的に政党を基盤に行われ、それが教育委員会の運営に持ち込まれた。
・大きな資金を持った者や強力な支持母体を持った者が当選しやすかった。
・大きな組織力を有する団体が組織力を利用して教育委員を送り込み、教育行政をコントロールしようとする傾向が伺えた。
等の問題が生じて、1956年に公選制が廃止され、首長が任命する現在の選任方法に変わったのだそうです。
市長の公選制は1947年に日本で導入されたそうですから、1956年と言えば、まだまだ、首長の国の関与も強く、いまよりもっと首長は、政治的背景を持っていなかったのだと思います。
特別区に至っては、昭和27年の地方自治法改正では、長の公選制も廃止されてしまいました。昭和50年まで、区長は都知事の同意を得て区議会が選任していました。
当時の公務員が全体の奉仕者としていまよりずっと機能していた時代に、教育委員の選任が公選制から区長の任命に変わっているのです。
そういう歴史的な経緯を経て、任命されていたと思われる教育委員ですが、今回、区長が同意を求める方は、大田区在住でも、また区の教育に携わった経験をお持ちでもない、
長きにわたり、区在住、あるいは、区のこどもの教育に深く知見をお持ちの方を選任してきた区の慣例とは大きく異なる任命になっています。
この変化で心配なのが、大田区教育行政への、区長や都知事などの過度な関与です。
教育と政党や政治からの分離は、戦前の軍国主義への反省から始まったものです。
教育委員会の位置づけがかわり、教育総務会議など、区長部局の教育への関与がこれまで以上に大きくなっています。そうしたなか、今回の東京都の教育行政に長きにわたり関わっている方が、任命されたことは、区長の関与が大きくなったうえに、ただでさえ、都区制度と言う財政関係による都の関与が大きいなかで、東京都の関与もおおきくなりますから問題です。
しかも、東京都は、都区財政調整制度により、区からの莫大な税収を保持しており、
国の直轄とも言われます。
国の関与の大きな都が、区の教育行政にさらに関与することは自治の観点からも好ましくありません。
そのうえ、現都知事は、地域政党立ち上げ時に深く関与するなど、政党色が強いのです。
こうした流れは、地方分権と言いながら、それに逆行し、教育の中央集権化を強めるものです。
ただでさえ、今の地方分権は、地方への財源の集中とそれを使う仕組みの主体を地方自治体にかえただけで、実態として主権者である地域住民の権限が大きくなったわけではないまやかしの地方分権です。
そこに、こどもの教育に国や都の政治的関与を強める可能性のある人事は好ましくありません。