極端な対症療法、根本的な問題追及が弱くなっている政治と全体主義化の関係
いま、政治は、
極端な対症療法に陥り、
根本的な問題追及が弱くなっている
のではないかという危機感を持っています。
対症療法である、
おねだり政治
利権分配に特化した政治
○○に△△してあげる政治
は、破綻をほんの少し先送りできるかもしれないけど、
その先送りできる時間は、徐々に短くなり
次の悪くなるスピードを速めてると思うからです。
しかも、それを突き詰めて考えていくと、
●根本的な問題追及を政治がしなくなっている
●対症療法に過ぎない
ことは、
●根本的な現状システムを認めている
●全体主義に陥り始めている
ことになるのではないか、という心配、疑念がわいてきます。
日本の政治は、明治維新以降、西洋の契約社会を取り入れてきましたが、維新以前の農村や漁村、山林を基盤にした、共同体システムを基盤として、そこに、町民や商人が生きてきました。
豊かか、豊かでないか、はともかく、収穫できる農林水産物を基盤に、職人が作り、商人が売り、日本がまわっていたのだと思います。今でいうトリクルダウンの頂点は、自然と風土を基盤とした共同体社会にあったという事だと思います。
これが、西洋の契約社会に移行したとき、自然や風土を基盤とした食や暮らしから、「資本主義経済」が切り離され、自然や風土とかい離した、中央集権システムになったということはできないでしょうか。
私は、自然や風土というある種、私利私欲の入り込まないものを「秩序」としてきた明治以前のしくみに、学ぶべきものは大きいと思います。
明治維新以前の300年続いた統治機構が、今と違うのは、そうした部分にもあると言えるかもしれません。
ちなみに、無能な政治、政府の失策に、そろそろ、いい加減に国民も腹を据えかねてきてるから、
最近は「自然災害」を悪者にして、矛先が権力に向かないよう、防衛策を貼ってきましたね。
まあ、国土強靭化という、税投入のお墨付きでもありますが。
いつまでも、おとなしくしてるわけじゃない、って知ってるから、コロナで分断、人と人とがつながらないようにしてると思う。
三密避ける、だけが、公衆衛生、医療における、感染防止策とは悲しすぎますし、、、。