議会質問における通告の意味を考える/代表質問を終えて

 よく、議会は、やらせであるという言い方をすることがありますね。
 
 確かに、質問をするというと、想定質問を作ってくださる職員もいます。(もちろん私は使いませんが)

 答弁側にとってみれば、自分で作った質問に自分で答えるのが一番楽でよいですからね。

 職員が何か新しい施策・方針に取り組みたい場合に、(自称)与党議員に対し、質問を依頼するような場合もあるようです。
 委員会などでも、これまで(自称)野党議員が何度も要望していたことがらについて突然(自称)与党議員が要望し、「取り組みます」などと答えていたりします。

 こうした事例は論外ですが、議会質問において、これまで、その場で質問されても答弁の準備ができないからという行政側の論理で、通告が拡大解釈されてきた経緯があるようです。

 議会においての公式な通告は、項目が示されれば良いことになっているので、議員によっては、「区政について」などという通告をする場合もありますが、これは例外で「高齢者福祉について」とか「子育て支援」とか「温暖化対策について」とか「バリアフリーについて」といった通告がなされています。今回の質問項目を参考にしてください。

 しかし、実際には、「質問の内容」や「本文」を事前に行政側に知らせているのが現状です。
 
 これまで、私は、議会の(悪しき)慣例に従い、基準以上の通告をしてきました。
 しかし、私が通告をしたことで、しないよりも十分な答弁を得られてきたでしょうか。

 たとえば、今回の、私は、10月スタートのプラスチックの焼却の問題について

【質問】区報にこれまで不燃ごみだったプラスチックを清掃工場で燃やしてしまうことを大丈夫だと言っているが、何を根拠に大丈夫といっているのか。モデルごみを焼却したデータは、新しい分別区分のごみが数パーセントしか入っていない。ここれをもって安全であるとはいえない。何かあったら責任を区がとるというのか。

という質問に対し

【答弁】現在の数値が基準値以内であるから安全。

という答弁は、全くかみ合っていません。

 区の「大丈夫」は、数パーセントの混入時点(=現在)の「大丈夫」であって、全面焼却の際の「大丈夫」では無いのです。
 にもかかわらず、区報を使って区民に対し、プラスチック焼却自体を「大丈夫」であるというのは虚偽表示と同じことです。

 二元代表制における議会と首長(行政)とが、緊張感をもって議場で議論をしていく状況をつくるために「通告」は機能しているのでしょうか。
 

なかのひと