また、施設老朽化に伴う整備は重要ですが、漫然と施設整備を繰り返せば、財源は枯渇します。足りなくなったら国がなんとかしてくれる、増税するだろう、自分はもういないという感覚としか思えない現状は、国云々以外はそのまま現在の日本政府の在りかたと重なります。
相談事業という人が要の事業であるにも関わらず、お構いなしで、20万円の経費削減にこだわる一方で、入札制度改革は一向に進みません。奇しくも3月24日の読売新聞に大田区入札3割不成立。予定価格上回り「割高」随意契約という記事が掲載されました。
入札制度改革を放置し2年間で4億円割高という指摘でしたが、区の「今後はもっと競争を促す仕組みを考えたい」とは、議場で私が入札における競争性の担保についての質疑に対する答弁と大きく異なるもので、放置した結果を区は厳しく受け止めるべきですが、こうした改善策も24年度予算には盛り込まれていません。
民間外資系投資会社に20年間そのあり方そのものに大きな問題のある、糀谷工場アパートは今後20年にわたり、毎年7347万円総額14億7000万円もの負担が伴います。以前に行った仲六郷二丁目の土地などもそうですが、こうした後年度負担を伴う債務負担行為もまた増えてきています。
一方で、民間活力の導入ということで伊豆公園学園のPFI事業が採用されています。この工場アパートに似た側面があり、民間企業にどうリスク負担させるとともに、適正な利益をあげて良好な区民サービスを提供していただくかの仕組み構築が重要な時代に入っていますが、大田区は、それができていません。そうした中で、空港跡地についてもPFIを採用しようとしていますが、財政負担とその効果の見込みがあまりにも甘く、不安が残ります。調査を重ねていますが、基本的な考え方を方向転換すべきです。
民間活力の導入という名の企業との連携は、区の描いた収支比較によるメリットが強調されますが、その収支比較できるだけの情報が議会に届かないところにも問題があります。
指定管理者制度を採用する施設が増えているため、利用料金が総額予算からのぞかれてしまうなど、表面上の予算額がこれまでの予算額の意味するものと大幅に変わってきています。
大田区は、未来プランを修正しましたが、人口予測も高齢化率も読み込んだ上で未来プランを立てており、震災による影響や景気低迷という要因だけが修正の要因ではないはずです。生活者ネットワークが指摘してきた、最低限の入札制度改革や財政改革にも取り組まず、政策の優先課題を無視した利権温存一律5%シーリングのコストカットには問題があります。
災害廃棄物広域処理拡大に政府は躍起になっていますが、環境省とのヒアリングの場において環境省は、がれき処理が順調に進んでいると明言しています。26年3月末までの補助金支給期限において、1/3の予算を費消していると言っていましたので、十分と言えるでしょう。
一方で、がれき処理の期限を26年3月末にしたことに、明確な根拠があるわけで無いことも明らかになりました。一年延ばせば広域処理など必要なくなります。
それどころか、政策立案において、いつまでに、どの程度処理エリアを拡大することでどのくらいの費用負担になるかというシミュレーションさえ行っていないことが明らかになっています。
4月15日には、大田清掃工場に災害がれきが持ち込まれ始めます。最終的に国が全額補てんするものの、大田区が出資している一部事務組合が受託した事業で大田区が大きな責任を持つ事業であることに変わりはありません。
しかし、安全性については、東京都や一組、国任せで自主的に判断していないことが今回の議会を通じで判明しています。
しかし、大田区がたのみにしている環境省も、この災害がれきの広域処理についての市民からの質問に対し、放射能についての答弁を避けています。その理由を知見がないとしています。
原発事故により、これまで100ベクレルだったクリアランスレベルを残しながら、埋め立て処分において8000ベクレルを容認するというダブルスタンダードという矛盾を持ったまま災害がれきに限らない廃棄物処理が行われています。
中央集権から地方政府へ。大田区の基本構想にも自律した地方政府を目指すと記されていますが、国の決めたことに漫然と従うだけで、大田区という一個の独立した地方政府としての自覚に欠ける政策立案と政治判断が、財政規律なき計画策定と財政改革なき予算なっているため反対です。